とかげのたからもの

バンドが趣味の育児中会社員です。音楽鑑賞とジョジョとレミゼラブルが好きです。

2018-2019 年越し&帰省

今年の年末年始について記録しておこうと思います。
そもそもムスメが産まれて初の年越しで、旦那の実家(新潟)とうちの実家(九州)を行き来するというハードスケジュールだったところへ私が胃腸炎になったりして、つらさが先に立つ年末年始だったものの、振り返ってみれば楽しいこともたくさんあったのであった。

12月27日 育児仲間の家で忘年会

育児講習等で知り合った育児仲間で集まり、Hとりさん宅で忘年会。旦那さんがたまたま有休で手作りお昼ご飯を振舞ってくれた。
Hとりさんお気に入りのコストコポップコーンも美味。昼から夜まで滞在して帰宅。

12月28日 小児科&旦那仕事納め

ちょっと咳をするムスメを一応小児科にみせとこうと思って病院へ。
この日じゅうに門松を出さないとバチが当たるというので重要ミッションとして門松を出す。
旦那の仕事も無事納まり、一年のお互いの労をねぎらって乾杯する。

12月29日 新潟へ

旦那の実家へムスメを連れて出発。車で行けばラクなのだが雪がしんどそうなので新幹線。幸いムスメは公共機関の中では爆睡しており親孝行ぶりを見せつける。
ホテルにチェックインしてから旦那の実家へ。お義父さんメロメロ。
ムスメが最近会得した寝返り返りを見せようとするが全くしない。
晩御飯をご馳走になってホテルへ帰る。
この日の深夜、吐き気で目が覚めホテルのトイレで吐きまくる。最終的に胃液的なものしか出なくなり、下痢症状もあらわれる。

12月30日 東京へ戻る

朝になっても吐き気がおさまらず、長岡の休日診療センターへ。
熱が出てきてフラフラしながら行ったのだがけっこう待たされたわりに診察は2秒で終了。吐き気どめと整腸剤をもらい、今日一日は授乳禁止となる。
新幹線とか全然乗りたくなかったが乗らないことには家に帰れないので帰路につく。
ムスメの面倒も荷物持ちもほとんど旦那がやってくれたので私は吐き気を我慢する係に専念する。
東京駅の車両トラブルとかで新幹線が大幅に遅れた時はもう死んだかと思ったが、旦那に励まされつつ大宮から先に進まなくなった新幹線から降りて自宅へたどり着いたときは快哉を叫ぶ。とりあえずポカリを飲んで寝ようとするが、熱がだいぶ上がっていて頭痛によりあまり眠れず。
金曜にムスメをみせに行った小児科と同じ敷地内の病院で夜間救急をやっていたのでとりあえず行く。
長岡の病院よりは丁寧に診てくれて、感染性胃腸炎の診断がくだるが、何が原因かとかは検査しないと分からないし、分かったところで整腸剤で頑張るしか無いらしく、とりあえず整腸剤と、解熱鎮痛剤をもらう。解熱鎮痛剤を飲むと頭痛が軽くなったので眠った。
感染性胃腸炎の原因は全く分からないけど、27日に忘年会した時の5人中4人が私と同じ症状でぶっ倒れたというので多分この日。でもこの日のことを追求すると、ご飯作ってくれた旦那さんやコストコのポップコーンを責めることになるのでもうメンバー間で無かったこととなった。

12月31日 穏やかに年越し

一晩寝て起きると熱は下がっており、吐き気も頭痛もだいぶやわらいでいたので旦那がスーパーで買ってきてくれたおかゆを食べた。おかゆ美味い!!てなった。
だいぶ回復したので遅ればせながら年末ぽいことをするべく動き始める。
ここんとこ大晦日には近所の回転寿司で持ち帰り寿司を買ってたらふく食べるということを行なっていたので今年も一応それを実行した。
当然わたしはほぼ食べられないのだが旦那は食べたかろうしわたしだって腹さえ万全ならものすごく食べたいのでそうした。
が、旦那に言わせると「食べられない人が目の前にいると食べづらいな。。」とのことだったのでその気持ちも大変わかる。
まあとりあえず寿司は買って帰って、わたしもちょこっとだけもらって食べた。
夜は紅白とかガキ使とかスペースシャワーとかチャンネルを回しながら見たりしてたが、結局紅白に落ち着いた。なんとなく毎年こんな感じ。
出川哲朗がなんか言ってた「なんだそりゃそりゃ」ってやつが気に入って旦那に向かって連発したところ嫌がられた。

1月1日 穏やかに新年

年が明けて新年。年賀状を見たりダラダラしたりして寝正月を決め込む。
初詣もどうせ翌日に九州の皆と行くし寒いしということで行かず、散歩と称してスーパーに買い出しに行ったくらいが唯一の外出。
その買い出しの結果夕飯はすき焼き。当然わたしはほぼ食べられないのだがちょこっとだけもらった。普段は豚肉だが奮発して牛肉を買ったので大変美味。
翌日の荷造りを開始。

1月2日 九州へ帰省

ムスメ人生初の飛行機搭乗。羽田から出発して富士山上空くらいまでじゃっかんグズったがそのあとは爆睡。えらいやっちゃ。
実家に着いてからはムスメは常に誰かが抱っこしたがるアイドルぶり。
毎年初詣に行く神社に初詣。この神社は我が家が結婚式を挙げた神社でもあるので、こんなに珠のような子が産まれましたというような報告も行う。
初詣の参道で、ハシマキというあんま他の地域のお祭りで見ない食べ物を食べるのが恒例なのだが今年は私はあまり食べられず。代わりにぶどう飴を買ったが飴かぶどうかがとてもにがくて途中で捨てる。無念。
夜、翌日のじいちゃんの米寿のお祝いで何か孫一同で余興をやれと言われてDA PUMPのUSAをみんなで練習。若い連中はともかくおばさんおじさんたちはヘロヘロになった。でも楽しかった。

1月3日 じいちゃん米寿のお祝い

午前中は旦那とともにIっさんの家に伺う。Iっさんの旦那さんもいたのでご挨拶。上の子はもう3歳とかで下の子は1歳くらい。2人ともそこはかとなく賢そうで元気な子たちだった。大して入ってないけどお年玉をあげた。友達の子にお年玉をあげるって、けっこうやりたかったことだったのでうれしみ。
Iっさんの上の子がなぜかギターにご執心ということで、旦那がここぞとばかりにギターを手ほどき。少しも教えられてなかったけど微笑ましい絵ではあった。
午後はじいちゃんが88歳ということで親族や関係者が集まり宴会。演歌のカラオケ大会になってきたくらいでムスメがグズったという理由で席を外し、同じく甥っ子がグズって席を外した弟1とダベるなどした。
甥っ子はいま1歳半なのだが、父である弟1がうちのムスメを抱っこしようもんなら飛んできて、イー!イー!と抗議の声をあげるのであった。
DA PUMPは踊っている最中で音源が止まってしまい、音源係だったいとこが音源をダウンロードする手間を省いてYouTubeをそのまま流していたためネット環境が悪くなって止まってしまったものと判り少し責める。
でも甥っ子がグズって観客側で見ていた弟1に言わせると、音源が止まる止まらない以前にみんなモジモジしすぎて何がしたいのかわからなかったとのこと。辛辣!
夜、弟1の運転で、弟2と旦那と私で近所の温泉へ。のんびりできたが帰りの山道で少しクルマ酔いした。まだ胃腸が本調子でなかった。ムスメは家でばーちゃんたちと良い子で留守番をしていた。

1月4日 買い物&旦那帰京

ちょっと都会へ買い物へ。ムスメの服であればかなり財布のひもがゆるむ親につけこんでけっこう買ってもらう。
私にもなんか買ってくれるというのでセールになってたコートを買ってもらった。ダウンなのだがモコモコしてなくて、ぱっと見チェスターコートみたいなコート。ROPE。
マーガレットハウエルのライナー付きコートにもすごく惹かれたのだが、なんか渋すぎてやめた。渋すぎたし、色がネイビーのが欲しかったのだがベージュと黒しかなかったからやめた。
あと同行してたオカンと弟1の嫁に言わせると、「なんか新品なのに薄汚れてる」とのことで、それは!オシャレのためにあえてそうなってるはず!と抗議した。
旦那を駅まで送って行って見送ったが、3日ほど会えないだけなのだが大変寂しくなる。家以外で旦那を見送るシチュエーションが最近あまりなかったのもあるかも。

1月5日 大学時代の友達とランチ①

大学の時の学部の友達とランチ会。うちも含めて子連れが多いので、普通の店じゃなくてレンタルスペースを借りる。
コンビニとかで買い出しして持ち寄って食べた。
友達の家の上の子がもう5歳とかになってて、父も母も友達なのだが両親ともにおっとり喋るほうなのに娘はマシンガントークで笑った。
帰り道の電車に乗り込んだ瞬間にムスメが真剣な顔でいきみ始め、エッと思う間も無くウンチをしていた。慌ててオムを替えられるトイレに行ったのだが時すでに遅く、服にもちょっとウンチが付いていた。のでやむなく着替えさせたのだが田舎の特急って尋常でなく揺れるというのを忘れていて、ワァァ揺れるゥーーみたいになりながら着替えさせたのであった。削られた。

1月6日 大学時代の友達とランチ②

大学のサークル仲間でランチ。前日と同じくレンタルスペース。前日と同じアプリで予約したのだが、ずいぶん安いなーと思ってたらだいぶ狭いしなんかフィギュアとか飾ってあってウームという感じではあった。
前日もこの日もだけど、三十代になったからなのか子どもを産んだからなのか、なんか共通の話題を探すのに困った。子どもの話ならまあできるけど、未婚の友達や既婚だけど子どもいない友達もいるし、自分としても育児の話は育児仲間と存分にしてるし、たまには子どもの話以外で、と思うものの、さりとて話題が思いつかず、未婚の友達の恋愛話や仕事の話を聞くくらいにとどまった。
映画やドラマの話も全員が見てるとは限らないし、趣味の音楽の話も共通の話題とは言いがたいし、難しいなーと思った。
でも何かのコラムで、「学生時代の友達と三十代で一度疎遠になるのは仕方がない。それぞれ仕事なり育児なり自分の人生を必死に生きて、それがひと段落した四十代でまた仲良くなれる人とはまた自然と仲良くなれる」というのを見て、然り〜〜と思うなどした。
多分そういうことなんだよなー。きっと。

1月7日 放置プレイされる

今回そもそも旦那が先に帰ったのは、うちの両親が孫恋しさに「もっと長く逗留してくれ」というような要求をしてきたからであり、まあ私も会いたい旧友もいたので了承したわけだが、うちの親がやってる会社もこの日仕事始めを迎え、昼間は誰も私に構ってくれない時間が訪れた。ナンダヨ!
でもそれは仕方ないので、じゃあ近所のイオンに買い物にでも行くからクルマ貸してくれと言ったら、ハテ?クルマ?って感じであった。ナンダヨ!!
結局弟1が午後から車を貸してくれることになり、午前はムスメと密に過ごした。5日・6日はけっこう遠方までムスメを連れ出したので、のんびりさせてあげられてよかったかも。
午後から買い物に出かけ、まず近所のショッピングセンターをプラプラしていたのだが、今使ってる育児バッグがKぬにもらったエルエルビーンで、見た目については文句なく可愛いのだが思ったよりも容量が少なくて、遠出するにはリュックサックとかの方が便利だなーと思いながら歩いていて、マリメッコのリュック使いやすいって旦那の友達のKむらさんが言ってたなーとボーッと考えていたら、たまたま通りかかったX-sellというブランド品の中古品販売?の店の店頭にマリメッコのリュックが置いてあったのであった。
なんか運命を感じてしまい値段を見たが、定価の半額くらいだった。半額とはいえ17,800円。手持ちの現金もなかったし私としては即決できる金額でもなかったので保留しなんとなくKぬに相談したところ、相談しながら自ら「必要ない」と結論が出たので解決。手持ちが無くて助かった。
隣接するバースデイで翌日来る予定の友達の娘にビーズ細工のキットを買ってから、ハシゴしてイオンに出かけた。
イオンで西松屋を冷やかしたり、本屋でOみや大先輩オススメの育児本を発見して買ったりなどした。子どもへのまなざし (福音館の単行本)
あとは翌日8日の朝も放置プレイと分かっていたので、暇つぶしにドラマ化していた「義母と娘のブルース」の原作マンガを購入した。
義母と娘のブルース(上) (ぶんか社コミックス)
で家に帰ると家族は会社の新年会で相変わらず誰もいなかったのでさっそく義母と娘のブルースを読むなどした。孤独!

1月8日 旧友きたる

中学高校の同級生で部活も一緒だったMつが3歳になる娘を連れて車で来てくれた。
娘ちゃんは最初こそちょっと人見知りしていたが、お年玉をあげたり前日に買ったビーズキットをあげたりしたらすっかり心を許したらしく一緒に遊んでくれた。
ムスメも機嫌よくしていたが、ウトウトすると娘ちゃんが来たりて耳元でラッパを吹いたりするのでなかなかアウェイ環境となった。ムスメよそれも試練だ。
娘ちゃん大変元気で、家の中でも庭でもすごく元気に遊びまくってくれてこちらとしては大変嬉しかったが、保護者であるMつとしては恐縮してしまったらしく難しいなーと思うなどした。Mつは2人目を妊娠中なので私が代わりに娘ちゃんと遊んだりした。
お昼ご飯食べておやつ食べてのんびりしてからMつは帰っていったわけだがなんだか寂しい気持ちになってしまったのであった。
夜は弟1とその嫁と3人で近所のイタ飯屋にご飯に行くことになっており、甥っ子とムスメはうちの両親に預けた。
このイタ飯屋は以前行ったのだがとっても美味しくて雰囲気もいいので、帰省のたびに機会を見つけて行っている。
弟1夫婦ともたくさん話して楽しかった。最終的にはジョジョ談義になったけど。それも楽しかった。
21時には帰ると言っていたのに普通に21時半過ぎて家に帰ると両親はわりとヘトヘトになっていて、悪いけどちょっとウケた。
甥っ子はオカンがお気に入りなのでオカンがムスメを抱っこするとイーイー言って抗議するので、基本ムスメはオトンが抱っこしているハメになったらしく、ミルクをやろうとしてもムスメ特有の気まぐれでなぜかベロでノーサンキューを表明してみるなどして困らせた様子だった。ドンマイ。

1月9日 帰京からの女子会

帰路はオカンが東京まで付いてきてくれることになっていた。大人2人いればまあ移動も楽勝やな。
ムスメは飛行機でちょこっとグズったけどおおむねおとなしく羽田に到着。
レンタカーを借りていたのでオカンの運転で地元まで帰還。
オカンにオムなどの場所を教え、ムスメを預けて私は新宿へ行き、NつとTじまさんと女子会。
えげつなめの話で盛り上がり、二軒目の喫茶店では店員さんに「もうちょっとだけお声を小さく」と怒られる始末。
Tじまさんはショックを受け、「うるさくて怒られたのとか学生の時のガスト以来だ…」とこぼしていた。
予定より遅くなってしまったが帰宅してムスメをお風呂に入れ、今に至る。


というのが私の年末年始であった。
オチもクソもないけどなんか自分なりに整理できてよかった。