ジョジョの奇妙な冒険という漫画があり、大変好きなのだが、今回は漫画そのものの話ではなく、その中に出てくる「スタンド」というものと育児について考えた。
スタンドというのはいわゆる「超能力」が可視化されたもので、スタンドを操る「本体」が必ず存在し本体が死ねばスタンドも消滅する。たまに消滅しないやつもいたけど。
そしてスタンドが攻撃を受ければ本体も傷つく。
まあ色々あるけどだいたいこのような定義。
スタンドが本体よりもガタイがよくて、本体の代わりにぶん殴ってくれたり攻撃からかばったりとかするスタンドもあれば、
本体よりもちっちゃくて本体が撃つピストルの弾を操るようなスタンドもあれば、
本体の髪が自在に動くなど、本体の一部が変形するものもあれば、
本体が着ぐるみみたいにスタンドを着込むタイプもあったりする。
まあ色々なタイプがあるわけですけど、だいたいの場合、本体はスタンドの力を使って難敵を倒したり困難を乗り越えたりするわけである。
でもうすぐ腹の子が産まれてくるわけだが、今のところ腹の子はまだ民法上も刑法上もヒトでなく、なんの意思も反映できず、私が食べたものの恩恵にあずかって日々生命をつないでいて、仮に私が事故にあえば何も抗うことなくその生命は絶たれてしまうという存在。
でも腹の子が腹を執拗に蹴ったりするとこちらはウーとなって横にならざるを得なかったりする。
産まれてきたら産まれてきたで、こちらは全力で彼女の生命をつなぐ活動に勤しまねばならず、まあある意味付属品と化すわけで。
何が言いたいかと言うと、ニュースで流れる幼児虐待の親たちは、自分が本体で自分の子どもは自分のスタンドだと思ってるんじゃないのか?と思った。
自分の分身でかつ自分が「本体」だから、スタンドをどのように扱おうが、どんな変な名前をつけようが、どんなに痛めつけようが、存在をいないことにしようが、オレの私の自由だと思ってるんじゃないかなぁ。
たぶん本当はむしろ逆で、腹の子が本体で、私や旦那は一時的にこの子のスタンドとなるのだと思う。
その子にふさわしい名前をつけ、その子の望むように生きられるよう様々なものを提供するスタンド。
もちろん自分自身の「本体」でもあるわけだし、子がはよ育ってスタンドでなくなりたいわけだけど、子がいっちょまえになるまでは腹の子のスタンドでもいてやろうと思った。
ジョジョに出てくるスタンドで一番近いのは、5部のトリッシュ・ウナという女の子とそのスタンドのスパイスガール。
トリッシュはチョット複雑な家庭の子で成長してからも自分の力を持て余しているようなところがある子なのだが、トリッシュ本人の能力であるスパイスガールはトリッシュが幼い頃からずっとトリッシュを見守っていて、トリッシュ15歳の時、絶体絶命のピンチに際し満を持してトリッシュの前に姿を現す。そして敵をなぎ倒してトリッシュを救う。
クゥ〜〜
このような親でありたいなと思います。
ちなみにトリッシュウナは荒木飛呂彦がモデルのトリッシュゴフが好きすぎて同じ名前のキャラを登場させたというキャラである。
確かに似てる。