とかげのたからもの

バンドが趣味の育児中会社員です。音楽鑑賞とジョジョとレミゼラブルが好きです。

生きていく話

子どもらの入園準備しゅうりょー。最後まで閉店間際の西松屋に駆け込むバタバタぶり。はー。

保育園がけっこう昭和の運用で、入園準備の資料も情報がバラバラ書かれてたり矛盾してたりして大変だった。昨日の入園式とか3月頭の説明会とかで感じた違和感とかもあり、モヤモヤイライラしてしまった。修業が足らんのう。

 

なんか入園準備しながらなんとなく考えたことがあって一応記録。

なんか前から「ワーママ」という言葉が好きじゃないというか自分のことワーママって呼ぶ人と仲良くなれないというか、そういうのがあるのは何なのかな〜と自己分析してみた。それでなんとなく分かったのは、ワーママって言葉がどうのこうのじゃなく、なんか型にはめられるのがイヤみたい。型にはめられると急に「ワーママなのに色々がんばってる」とか「ワーママのくせに遊んでる」みたいな、評価の対象になる感じがイヤなんだろーかね。

 

なんか、仕事も親業も趣味も勉強も、フラットな感じで生きたいみたい。どれかがすごく突出してそのために他のことを我慢するみたいな考え方はしたくないなって思う。例えば子どもが小さいから仕事はフルタイムとはいえ残業なし、バンドもちょっと頻度減らそう、というのはあっても、それは「我慢してる」とかじゃなくカスタマイズというか、自分にとって一番いい形というか、自分がしたいことを常に模索して実行してる結果だって思う。他人から見たら我慢してるな〜とか、逆に親のくせに勝手しとるな〜とか見えたとしても、自分の中では整合性とれてると思う。

イチコの育休後に復帰した際、旦那と相談して、フレックスを活用して7時半〜16時半のフルタイムにしてみたら我が家はおおかたうまく回った。その時に、特に仲良くない後輩女子から「◯◯さん(私)って、すごく変則的な働き方してるらしいですね〜!」と話しかけられたことがある。なんか相手の意図が分からなくて、批判なのか賛同なのか謎だったので、ハァとかヘェとか言って話を切り上げた。意図はわかんないけどなんとなく「ほっとけよ」という気持ちになったので切り上げたんだと思われる。なんか、ほっといてほしかった。

育児に正解は無いと思うし、家のルーティーンの回し方も正解が無い気がする。自分の家の正解を模索するために、いろんな人の話を聞いてアイデアをもらって、これが1番良さげだな、というのを見つければいいのかな〜と思う。そんでその1番良さげなやつももっと良い運用があったら変えていけばいいし。

 

趣味とかも、できる範囲でなんでもやったらいいと思う。

これもイチコの育休中に、旦那がイチコを見てくれてる間に友達とジョジョ展に行っておおいに楽しんで、それをインスタかなんかに上げたら、会社のお局的な人から「この場合、子供はどこに?」とコメントがついた。「旦那とおうちデートです」と返信したけど、なんかこの時も「ほっとけよ」と思った。赤子を一人でほったらかしにするわけないし、私と同い年の男子で同じ月齢の子どもがいる人が同じ内容の投稿をしたとして、同じコメントするのかな?と思った。他のうちの旦那は知らんけど、うちの旦那は私と同じか私以上に子どもの世話できるし。それをいちいち言わないと遊びに行ったらいけないなんてことないし。

今はコロナでなかなかいろいろやりづらいし、加えてうちのバンドはボーカルのNつが子どもを産んで、旦那が家にいないからワンオペ育児っぽいからバンド活動再開しづらい。でもそれも仕方ないことだと思う。でもバンドやりたくて手を探してたら、Hさやんぴがリハビリ的にバンドやろうと誘ってくれた。Hさやんぴはいま旦那とバンドやってるので、旦那がHさやんぴに頼んでそういうふうにしてくれたのかなと思ったけど特にそういうわけでもなかった。Hさやんぴは社畜で今繁忙期なのですぐにどうこうできるわけでもないのだが、5月くらいにはなんかスタジオ入ったりできそう。

こういうのすごい楽しいな〜と思う。本当はNつがバンドできて前みたいにのんきにバンド活動したいって思うけど、それはできないんだったら他の形でやるしかないって思う。赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんじゃないし、いつかNつとまたバンドができるだろ〜と思うし、もしバンドはできなくてもNつとは一生友達だろうと思う。そういうふうに思えて良かったなと思った。

 

イチコニコの育児についても、なんかフラットにやっていきたいな〜と思う。子どもの前ではできるだけ機嫌よくいたいし、子どものやりたいことはだいたいやらせてあげたい。かつ、子どもが何歳までにこれをやらせないと!とかはできるだけ思いたくない。同級生の◯◯ちゃんはもうお昼寝もパンツなんだ!とか、◯◯ちゃんはひらがな読み書きできるんだ!とか、ママ友との会話にはあがるし、へ〜すごい!とは思うけど、いつかできるようになるだろうし、別に焦らなくていいだろうと思う。習い事とかも、保育園や学校以外の友達を作るとかの目的ならやればいいと思うけど、小さいうちにプログラミング脳をつくる!とか、ピアノは小さいうちからやらせないと!とかはなんか馬耳東風というか、ヘェとかハァとかなる。

なんか習い事の話の時にいつも思い出すのがQueenのフレディマーキュリーと、サッカークロアチア代表モドリッチ。2人とも難民キャンプで生活したことがあるらしい。モドリッチは難民キャンプで丸めた布を蹴ってたとか聞いた。嚢中の錐というけど、才能がもしあれば、自然と頭角を表すだろうなと思う。子どもの才能をつぶさないために習い事!とか思うのは親のエゴと思う。子どもがやってみたいと思ったことはなんでもやらせてみて、それを楽しむ才能やそれを極める才能があればラッキーだね、て思う。だから一度始めたならやめちゃダメ、とかもよくわかんない。大人だって新しいこと始めて、それが合わなくてやめることなんていくらでもあるもんねぇ。逆にヘタクソだけど好きで続けることもあるし。

と言いつつ、習い事については、親が送迎とか当番とかでヘトヘトになるのもイヤだなって思う。そこまでやりたくないと言うと人でなしみたいだけど実際そう。やりたいことはやらせたいけどその送迎や当番を負担に感じたくないなー。その部分だけ外注できんかのー。まあその時考えればいいか。

 

なんかつらつら書いてみたけど、今回思ったのは、仕事してる自分も家事育児する自分も趣味を楽しむ自分も全部自分ということ。

いまは育休中だから育児に目が行くから育児の話で言うと、育児に意味を求める風潮があるような気がしてそれがよくわかんないというか、育児でキャリアを犠牲にした、とか、育児してるのは尊い、とか、育児してるのにキラキラしてるママ、とか、なんか賢くなりすぎた人間たちという感じがする。子どもが生まれたら育てるのが当たり前というか、それ以上でもそれ以下でもないというか、それによって他の部分を修正するのは当たり前というか。もちろんやりたいことを無理やりやめさせられるなんていうのはひどいし、社会の制度が追いついてなくて変えるべきところも多々あるのだけど、我々の気持ち的な部分もなんか、もう少しシンプルでもいいような気がしてる。なんか仕事やら育児やらに変な意味を持たせるから、変な承認欲求みたいのがこじれるんじゃないかなーとか。

 

なんか言いたいことがハッキリしてるようで全然まとまらないなー。とにかくなんか、無理せず怠けず粛々と楽しくやりたいんよなー。なんか周りの人とこのテーマで話したい気持ち。んー。むずいな。