先日FIELD OF VIEWのことを書いたわけだがこのバンドはいったいどう生まれてどう解散してどう復活したわけ??と思い、深掘りして調べてみたところ、特にボーカルの浅岡雄也の異端さが気になりすぎた。ネットの情報を元に彼の半生を年表にしてみた。
1969年1月25日生まれ(東京都出身)
実家は後に調布市のとんかつ店「ひで」
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
https://uyax.jp/?page_id=32
百科事典を30巻読破したり調布の原野を駆け回ったり野球(ライトで8番)に勤しんだり、活発で好奇心旺盛な子どもだった様子。
https://www.instagram.com/p/C6lr5yvRe-R/?igsh=MTlneXltOHZ5dDNmbA==
1980年頃(小学5年)
友人宅でYMO「ライディーン」を聴き衝撃を受け、シンセサイザーに夢中になり吉祥寺の楽器店へ通い詰める
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
YMOとの出会いが彼の人生を変えた様子。
大人になってからYMOの高橋幸宏に会えてめっちゃ嬉しそうな写真がインスタにあった。若い!
同じ写真がnoteにもあったけど、「わたしなんかに話しかけないでください」って隠キャ発言。どういう若者?
中学時代
・ベースを始める
・金持ちの友達の家に入り浸り多重録音を始める
・金持ちの友達のミニFM局でDJを担当しYMOばかり流す
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
ボンボンに依存するじゃん…
1984年頃(中学3年)
・卒業イベントでTHE ALFEE「星空のディスタンス」を歌い全校生徒から大歓声を浴びる
・素行が悪くて捕まる
→父親にベースとカセットテープ約500本を破壊され丸坊主にされる
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
素行が悪くて捕まったってどういう感じ?大丈夫そ?父親の制裁もすごいがよっぽどの怒りだったのであろう
1985〜1987年(高校時代)
・高校1年、クラスのメンバーとバンド活動開始。LOUDNESSやEARTHSHAKERのコピーバンドを結成
・文化祭ライブで人気者になり、他校の女子が見に来るようになる
・高校2年、顧問から「バスケかバンドか選べ」と言われバンドを選択
・高校3年、BOØWYに強い影響を受け「俺は氷室京介になる」と決意
・実家の店名から「とんかつひで」というバンド名を付ける。後にTON-HIDE(トンハイド)へ改名
・新宿ルイードからプロのバンドの前座出演の誘いを受ける
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
バンド名とんかつひでエモいな。他校の女子が観にくるようになるってとても90年代感あって良い。あとヒムロックに憧れてたんだねぇ、ボウイとFIELD OF VIEW、なんか共通点あるのわかる気がする
1987年(18歳)
・バンドメンバーと映画『TOKYO-POP』に出演し、ギャラを他メンバーが使い込み。激怒して脱退
・音楽で生きていくことを父親に宣言。「音楽で食っていけるのは氷山の一角のさらに一角だ。悪いこと言わないから公務員になれ」と言われるが「その一角になればいい」と反論、「出ていけ」と言われ、布団1枚とラジカセだけ持って家を出る
・家賃2万3000円のアパートで一人暮らし開始
本人は「ワクワクしかなかった」と回想
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27164/
父親との決裂、ロックだな!父親絶対心配してたはず。オカンには一応連絡先を伝えていたらしい。
1987〜1991年
・キャバクラ・バーテンダー・運送業・道路工事などのバイト掛け持ち、音楽機材を買い集める(シンセサイザー・リズムマシン・MTR)。60回ローンで毎月約12万円返済
・Missing Peace、PANDORAというバンドで活動
・1988年にMissing Peaceでイカ天出演&完奏、「可愛いで賞」をもらう
ソース:
https://uyax.jp/?page_id=32
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27177/
https://ja.wikipedia.org/wiki/浅岡雄也
下記のライブが1989年あたりらしいからこの時期だな。
Missing Peaceライブ 1989年

この風貌で頭はヅラらしいのが不思議だったがバイトしていたから髪を伸ばせなかったとかなのかな。謎だ。この時期から声質は変わってないね。MCがイキってて若者らしい。あとイカ天で「可愛いで賞」って何、可愛かったんだろうな。
1991〜1993年頃
・栄養失調と肺炎で入院、保険証を持ってきてほしいと実家に電話し、父親から「帰ってこい」と言われ、約4年半ぶりに実家へ帰る
・beingでギタリスト小田孝をデビューさせるためのメンバーオーディション開催。ボーカリストとして応募、事務所から連絡がありカラオケで社長の前でbeing系の歌を歌いまくりその場で契約。音楽一本で生活できるように
ソース:
https://www.i-ori.jp/iori-extra/hito_to_towel/kurashi_hito_towel14-82687/
ソース:
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27177/
突然の転機!FIELD OF VIEWは小田孝を売るためのバンドというのは聞いていたがオーディションだったのか。イカ天とかでスカウトされたのかなって思ってたけど違った。あと栄養失調と肺炎ってやば!死にかけてるやん。それでも音楽から離れなかったんやのー、ロックだな。てか社長の前で歌って即契約ってコントか。
1994年(25歳)
・viewデビュー「あの時の中で僕らは」「迷わないで」発売
・ドラムの小橋琢人が家に遊びに行き機材オタクぶりにドン引きする
ソース:
https://field-of-view.jp/history/
https://www.billboard-japan.com/special/detail/4124?utm_source=chatgpt.com
この時期はまだスーツじゃなくてカジュアルな服装で売り出してたらしい、写真は見つからない。そして売れなかったらしい。そんでかき集められたメンバー同士、家に遊びに行ったりして仲良くなっていったようでよかった、仲良いというか機材オタクぶりに引いてたみたいだけどそのあと30年仲良くしてるのすごい、なんとなく小橋氏の懐の深さによるもののような気がする。
1995年(26歳)
・viewからFIELD OF VIEWへ改名、黒系スーツにビジュアルを改める
・デビューシングル「君がいたから」がヒット、「突然」がミリオンヒット
・父親が応援してくれるようになる
ソース:https://field-of-view.jp/history/
https://sugoihito.or.jp/2026/03/27177/
スーツはこのあたりからなんだね。やっぱビジュ戦略大事なんだな。
下記の
このサイトでFIELD OF VIEWのコンセプトについて「裕福な家庭の息子達が作ったバンドの気品と余裕ある優しさ」と言及あり。

わかる、わかるなぁ〜このコンセプト。そして浅岡雄也のビジュと歌声がまさにハマってるんだよなー。かなりロックな半生なのにお坊ちゃん感あったもんなぁ。
25周年のCDのブックレットにも社長?のコメントあった。

やっぱり金持ちの息子バンドがコンセプトだったらしい。
一方織田哲郎のYouTubeですごい発言発見。

浅岡雄也の声を「日差しが差し込んでくるような爽やかな声」と絶賛しつつ、
・人間性は爽やかじゃない
・変なやつ
・陰気臭いやつ
・偏屈なやつ
・ダメな酒飲み
・あの声、あのルックスからほど遠い行動をしょっちゅう見た
と悪口大会でウケちゃう。からの、
でも、思うに…人間の声っていうのはやっぱり人の本質が出るもんなんじゃないかっていう風に私は思ってまして、だからやっぱり、彼がああいう変なやつでダメなやつで偏屈なやつだけれども、だけどやっぱりあの爽やかさっていうのもたぶんあいつがどこか本質的に持ってるものなんだろうなって気がしますね
ってフォローしている、織田哲郎やさしいな。でもわかる気がする、送ってきた半生とFIELD OF VIEWのコンセプトイメージが全くリンクしてないもんな…無理して合わせていたのか、それも面白がっていたのか?
1996年(27歳)
・「DAN DAN 心魅かれてく」ヒット
・「ドキッ」で初めてメンバー作曲の歌がシングルA面に採用される
・初全国ツアーLive Horizon Ver.1 初日のパルテノン多摩公演に両親を招待。終盤の「君がいたから」の1番あたりで最前列で父親が号泣しているのを目にし、自分も感極まり音程を外しかけるが持ち堪える。その当日に楽屋で書き上げたのがDreamsのB面の「someday」
ソース:
https://field-of-view.jp/history/
https://ja.wikipedia.org/wiki/Dreams_(FIELD_OF_VIEWの曲)
感極まってる「君がいたから」は↓の43:30頃
https://youtu.be/AY3caBQuL64?si=kkAtCxFFEciWdRPA
メンバーが書いた曲、アルバムにはたくさん入ってたんだよね、元々。でもシングルA面に採用されたの良かったね。元は作詞も本人だったらしいが差し替えられちゃったらしい。beingすげえな。ブレないな。
1997〜2001年
活動継続するがbeingじたいの勢いが衰え始めたこともあり売れなくなってくる
ソース:
https://field-of-view.jp/history/
活動後半の曲も好きなのいっぱいあるけどねぇ。「この街で君と暮らしたい」とか。まあ時の流れと運なんだろうね
2002年(33歳)
・FIELD OF VIEW解散
・後年「何をやっても売れなくなった」「うつ状態だった」と語る
ソース:
https://field-of-view.jp/history/
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/386519
33歳で鬱状態…大変だったねぇ。なんか小橋氏が浅岡氏の状態を見かねて「解散しよう」と言ったっていう漢気ソースを見た気がするけど見失った。
2003年(34歳)
ソロ活動開始
ソース:
https://uyax.jp/?page_id=32
解散からわりとすぐにソロ活動開始。音楽が好きすぎるな???
2003〜2009年
・ソロ活動を継続
・「uyax」名義でテクノ/打ち込み音楽へ傾倒
・「全然売れなかった」
・個人事務所 U-Factory 設立
ソース:
https://uyax.jp/?page_id=32
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/386519
ここへ来てテクノの伏線回収…!売れないとはいえ自分が本当に好きな音楽をやることができるようになったんだねぇ…胸熱だな
2012年(43歳)
・BEING LEGEND Live Tour 2012に参加
・FIELD OF VIEWとして再びステージへ
ソース:
https://field-of-view.jp/history/
私が観たライブこれだわ!すっごい声出てた。この時43歳かぁ。もっと若く見えたな
というわけでFIELD OF VIEWが生まれ爆発的に売れ、解散し復活するまでという年表をこさえた。商業音楽の裏にも一人の人生があって葛藤があって…という気づきがあった。子どもの頃は普通にカッコいい、歌上手いとしか思ってなかったFIELD OF VIEWの解像度が上がった。Mステの動画とか見てると懐かしすぎてハゲそう。父親との決裂と雪解け、良かったねぇ。しかしかなりロックな10代20代を考えると、オーディションじゃなくても自力で売れた世界線もあったかもしれないね。はたまた音楽を諦めて社会人になった世界線もあったかもしれない。人生はexciting gameだね…