公平と平等の話

今日は児童館でベビーマッサージ講習があると聞きつけ、先月末の応募期間に応募しておいた結果無事当選したので嬉々として参加してきた。

赤ちゃん体操やらオイルマッサージやらをいろいろやられてじゃっかん不機嫌になるムスメ。なんだよ…キャハキャハ喜ぶのかと思いきや…。
体操もマッサージも手順が多すぎて途中から覚える事を放棄しざっくりした概要だけを覚えて帰ってきた。最後に資料が配られたので手順の覚書かと思いきや、ベビーマッサージによる効能が列記されていた。いやこの効能を得るためのスキームが覚えられなかったんですよ!また行くか。

そして明日、ムスメを初めて親族以外に預けてみることになった。やはり他人にムスメを預けることに自分の中でけっこう抵抗があるのだが、いずれは保育施設に入れるのだし、この間の台風の時みたいに急きょ預けなければならない日が来るだろうから、平常時に一度預けてみたいと思っていた。
まあついでにというか、今月21日にバンドのセッションがあるから、どうせ預けるならリフレッシュがてらスタジオに個人練習に行こうと思っていた。

事前に近隣で低月齢の子供を一時託児受け入れている保育施設を2つ見学し利用登録だけしていた。
明日はそのうちの1つで、市立の認可保育園の一時託児を利用する。見学行った時も感じ良くて全然問題なさそーだった。
予約はかなり埋まると聞いていたのだが、今日電話してみたら明日は空きがあるけどそのあとは3週間ほど満員とのこと。すげーな。そして明日空いてるのすげーな。ラッキーだな。
明日は午後にファミリーサポート?の人が家に来るので、午前中の予約を入れる。
その電話を切ってすぐ音楽スタジオの予約も入れる。

準備するものがたくさんあって、着替えやらオムツやらバスタオルやらを準備。

これらすべてに名前を書かねばならんとのことでマジックペンを持ってきたあたりでムスメが泣き始める。抱っこひもで抱っこして名前を書き始めると、なにか物悲しい気持ちになってくる。

昔なにかの本で、なんか赤毛のアン的な外国の児童文学の中で、主人公が孤児院に入ってるだかしており、その施設は清潔で保育士たちは全ての子供に「公平」に愛情を注いでいたが、「公平」と「平等」は異なり、完全に「公平」な愛情とはつまり、誰1人として全く愛されていないのと同じことだった、みたいな記述があり、なんとなく理解できるような気がしていた。
保育園でも幼稚園でも、大人数の子供を少人数の大人が世話する施設だと、世話する大人がプロで存分な愛情を持って保育してくれたとしても、その大人の愛情を独り占めしたいという子供の欲求は決して満たされないとすると、少なからず子供は寂しい思いをするのだろうなぁと思う。

で、こんなまだこの世に産まれて2ヶ月半しか経ってないムスメにそんな思いをさせるのは間違っているのかなぁと思ったのだが、今日のベビーマッサージの最後に講師から、子供とのコミュニケーションについての講話があり、内容としては子供のほめ方・叱り方についてだったのだが、要はとにかくほめて育てて、叱るのは自分や周囲を傷つけたり傷つけそうになった時だけ、という内容だった。それに対して以前の受講者から、「そんな風に育てたら社会で通用しない甘ったれになりませんか?」という質問があったらしく、それに対しての回答として、「社会の厳しさや冷たさは学校や会社がいやというほど教えてくれます。家庭はその社会から帰ってくる子供をただ受け止め癒す存在であればいいのです」という回答があった。

なんかこれを聞いてちょっと気が楽になるというか、確かにその通りだなぁと思った。ムスメの月齢がまだ低すぎるというのはまた別問題として、他人に子供を預けるのならば、家庭で二倍べろべろに可愛がってあげればいいのかなぁと思った。家で1人で子供を育てるとしたら、家庭の優しさと社会の厳しさを両方とも自分が教えないといけないということだから、それはそれで難しそうだし。

なんとなくここ数日悶々としていた疑問に光がさしたような気がして良かったです。
あとに残るのはただ単純にムスメと離れるのがサビシイというわたし個人の問題だけなのであった。たったの4時間預けるだけなのにこんなにサビシイ。

てかさっきムスメのもの達にムスメの名前を書いてたら普通に自分の名前をひらがなで書きそうになっててちょっと慌てたよね。

しかしうちのムスメの名前はいい名前だなぁ。いい名前を付けれてよかった。ムスメがこれから何十年も使う名前だものなぁ。アタマをひねった甲斐があるというもの。
友達の子供の名前の由来とか聞くのすごい好き。100人いたら100通りの由来があって良いよなぁ。テキトーに付けましたみたいな人絶対おらんし。多少キラキラネームだなーと感じることがあっても、由来聞くと愛情込もってて良いなぁと思うことが多々ある。

そんな今夜。