レミゼラブル映画版のブルーレイを入手したので、特典映像のメイキングと、トムフーパー監督の解説副音声をたんのう。それをご紹介。
まずは「ジャベたん以外」について。何この分け方…
青字は私の感想です。
・冒頭のシーンが海の底から始まるのは、海が”非情”なものの象徴だから。船をドッグに入れる苦役から解放されたバルジャンは非情なものから解放されたという表現。
ファンティーヌが体を売るために難破船に男を引き入れるのも、非情な海につなげている。そこからバルジャンが救いだし、階段をのぼって海から離れるのも、階段の下に残されるジャベールも象徴的に描いている
映画ってそういう意味づけをきちんとするんだなー、と冒頭から感銘を受けた。
・本物の港で水をバシャバシャかけまくりながら撮影していた。このシーンだけは水音が邪魔でライブ録音は断念したらしい。「あんなにこだわったライブ録音を断念した曲が1曲目なんて皮肉だよ」と言っていた。
このシーンのロケ地を探してきたというスタッフさんがとても誇らしげにしていて、良い仕事ってこういうことだなぁと感動した。
・初演のバルジャンが司教役で出てる
・初演のエポニーヌが娼婦の役で出てる
・25周年版でグランテール役だったハドリーフレイザーが将校役で出てる
じっくり見ると意外と出番多くて、アップのシーンもわりとあった。でもほんとはもっと良い役にしてほしかったー!歌がうまくて他の人から頭ひとつ抜けてる印象。
・ABCの友の建物をわざと傾けて不安定に建てて、その計画のもろさを象徴的に表現した
傾いてんなーとは思ってたけど、そういう意図があるとは気づかなかった。深いなー。
・俳優はイヤホンをしてピアノの音を聞いているが、そのピアノは現場で歌に合わせて弾いている。ピアノを熱く弾くと鍵盤をたたく音が入ってしまったので、透明のブースに入れられた
このピアノの人はものすごく大変だったみたいで、役者のアドリブに合わせながらも、音楽的に破綻しない程度にテンポはキープしないといけなかったり。
・夢やぶれての位置を舞台からは変更している。舞台版だと失業の直後、映画版では髪や歯を売り娼婦になった後。
でももともとのフランス版ではこの位置だった
夢やぶれての位置が変わってるのは知ってたけど、元々のフランス版でもこの位置だったというのは初めて知った!
・宿屋の主人役のサシャは芸人さんらしい。ノドを守るために歌以外は筆談で話すほど気をつかってたのに、撮影途中でノドがつぶれてしまい、1週間撮影が押したらしい。撮影終盤だったからほかのシーンにはほぼ影響はなかったそう。
ちなみにこの筆談も、仕事には全然関係ないジョークばっかりだったらしい。サシャはオーディションではレミゼの歌は歌わなかった。サンタが娼婦を買って身ぐるみはがされるのはサシャのアイデア。
25周年版でも親父役は芸人さんだよねー。帝劇にトレンディエンジェルの斎藤さんが出た時の映像も見たけど、やはり芸人さんはなんか持ってるんだろうな!
・路上のシーンは一度撮ってエキストラが少なくて閑散として見えたので翌日撮り直した
・エディレッドメインは別の映画「エリザベス一世」の撮影時、馬に乗れるか聞かれて「乗れる」と言ったのに実は乗馬経験がなく、トムフーパーが「嘘つき!」とののしった。
今回挽回のチャンスをあげたくて、エディが馬で疾走するシーンを入れた
エディの乗馬姿めっちゃカッコいいと思ってたので、こういう裏話があるのはとても面白かった。役をもらうためにはみんな嘘くらいつくんだねぇ。
・バリケードは撮影中に家具などをぶん投げてリアルに5分間で作った。実際のバリケードも15分ほどでできていたらしい。みんなでとにかく家具を投げまくり、それを少しだけ手直しして釘を打って完成させていた。隣のスタジオに別で美術チームが作ったバリケードも準備してたらしいが、リアルに作った方を使った。
・ファンティーヌの死のシーン、ベッドを薄布で仕切ると、照明の具合によって、こちらの光源が強いと向こう側が見えなくなる、という効果をうまく使っているらしい。
ファンティーヌが薄布の向こうにコゼットの幻影を見るところでその効果がうまく使われてる気がする。あとこのあとの対決シーンでも、バルジャンとジャベールがこの薄布を跳ね除けながら闘ってるのがとてもかっこよかった。
・ファンティーヌの死のシーン、原作ではジャベールがファンティーヌに「子供には二度と会えない」なんてすごいひどいことを言って、ファンティーヌはそれにショックを受けて死んでしまうという絶望展開なのだが、舞台ではファンティーヌが死んだ後にジャベールが現れる。今回の映画ではリハーサルではファンティーヌが死ぬ寸前にジャベールの姿が目に入り、コゼットの将来に不安を感じながら死ぬということになっていたらしい。でもプロデューサーのキャメロンさんが「ファンティーヌには穏やかな死を与えてほしい」と監督にお願いして、舞台に近い演出になった。
ほんとキャメロンさんの言う通りにしてくれて良かった…原作のジャベールについてはほんとここだけは許せん!ファンティーヌは死の瞬間だけは幸せにくるまれている、娘を託せる人を見つけられたから…と監督が言っていた。それってバルジャンが死ぬ時と同じだなって思った。コゼットってほんと数奇な運命をたどってるな。
・宿屋シーンはアドリブだらけ。ライブ録音だからアドリブも演技も入れ放題らしい。サシャのアドリブが面白すぎてヒュージャックマンがふきだしてしまったりした。
親父が歌の合間に「I think so」とかいって合いの手を入れたりするのもアドリブだと思うんだけどすげー面白いと思ってた。
・バルジャンがコゼットを連れ去ったあと、宿屋の夫婦が金額で揉めるシーンは原作にはあるが舞台にはない。二人がバルジャンと再会したときの因縁を強調するためにシーンとして追加した。
ついでにここで、バルジャンを追ってきたジャベールと二人を会わせておいた方がのちのち面白いと思って会わせておいた。
確かのこのシーンがあることで因縁が生まれてるし、女房が親父より強いということが示されてるしいいよね。てか映画版の宿屋の女房、舞台版とかだとけっこうでっぷりした大女、っていう感じが多いし、原作でもそういう感じの描写だけど、映画版はわりと美人でちょっとエロいっていうのが良かったよね。だけど品性下劣っていうね。あと舞台版とかもだけど夫婦仲がわりといいというのも良いよね。原作だとけっこう亭主関白なんだよね。
ちなみにここでバルジャンが既にいないと知ったジャベたんが天を仰ぐさまが結構好き。
・映画版のオリジナル曲の「Suddenly」のシーンは原作通り。司教がバルジャンに徳を与え、コゼットがバルジャンに愛を与えた。二人がバルジャンを変えた。このシーンがあるからこそ、後々コゼットをマリウスに渡さなければならない悲しみが引き立つ。Suddenlyは当初はもっと伴奏が壮大だったがあえて控えめに変更した。初めて人を愛すことを知ったバルジャンの初々しさが表現できた
suddenly、最初は印象薄かったけど改めて見ると、愛するもの・保護すべきものを初めて得たバルジャンの戸惑いと喜びがひしひしと伝わってきて感動する。
・ジャベールに追跡されて教会に逃げ込むシーンも舞台にはないが原作にはある。助けてくれるフォーシュルバンなどの展開もご都合主義に見えるが、それはユゴーは「神は見ている」ということを前提に物語を作っているから。
馬でバルジャンを追い回すジャベたんかっこいい。あと「バルジャァァァァン‼︎‼︎」ていう怒鳴り声もよき!このシーンでジャベールがバルジャンにもらったロザリオを落としている、という話を聞いてよくよく見てみたけど、たぶん馬のひづめが鳴って火花が散ってるシーンをロザリオを落としたと思い込んだのかなと思う。ロザリオどこにやったんだろうね。捨てちゃったんだとして、トムフーパー 監督ならそういう描写入れそうだけどね。たぶん時間なくて泣く泣く切ったんだろうなぁ。
このシーンで気になってたの、冬のシーンなんだけどコゼットは袖のないワンピにボロのストールだけで、バルジャン、人形もなんだけどまずあったかい服を買ってあげてくれい、と思うなどした。
あとこのシーン、バルジャンと修道女たちがハモる感じになっててすごく良いよね。ちょっと音程も変わってて。ヒュージャックマン歌うますぎる。フォーシュルバンからすると「ちょっと市長殿、静かにして!」とも見えてちょっと面白いけど。
・Starsの位置をだいぶ前に変更したのは、教会に逃げ込んで前半終了だと唐突なので、ジャベールの誓いを挟んでおいた。そうしたことで後半に向けて不穏な雰囲気も演出できた
言われてみればstarsだいぶ前に移動してた。starsってストーリー的には関係ないっていうかジャベたんの普段思ってることの独白だから、流れとしてはどこに置いてもいいんだなって思った。映画版のstarsの終わりが次のシーンにつながるように編曲されててすごいかっこいいんだよね。映画ならでは。
・ガブローシュ役の子は舞台でもガブローシュをやっていた。死んだシーンの顔はCGなどではなく演技。
・学生たちの3分の1はマリウス経験者。
・「彼を帰して」は、舞台ならマリウスのすぐそばでバルジャンが歌い上げていてもあまり違和感がないが、映画だと滑稽。その違和感を減らすために、バルジャンにバリケード周辺をウロウロさせてみた。落ち着かないバルジャンの気持ちも表現できた。
フォーシュルバンのシーンと並んで「バルジャン静かにして」と言われてるシーン、監督なりに工夫してくれてたんだなーと思う。ミュージカルだから私はもうそこは割り切ってるっていうか気にならないけど、人によっては気になるというか冷めちゃうものねぇ。
・ガブローシュがバリケードの隙間を通って行くのはエディレッドメインのアイデア
・ガブローシュを撃った兵士をマリウスが撃つシーンも撮ったが、あえてカットした
・追い詰められた学生がカフェに逃げ込むのは原作通り。アンジョルラス役のアーロンの見せ場を作りたくて、バリケードの上ではないが逆さづりになる演出にした。
アーロン、歌も上手いしカッコいいんだけど、途中から大泉洋にしか見えなくなっちゃって困った。
最期のシーンはほんとカッコいい。右足が少し下がってブーツが見えるのが構図的に良い。
・歌のシーンは基本、顔のアップが多い。頭の中の世界を歌っているので表情を追いたかった。でもマリウスのEmpty chair~は少し引きの絵も入れた。この歌は場所も歌の一部だから。
私の記憶の中で勝手に、この歌の時に仲間たちとの記憶がCGで蘇ってた気がしてたんだけど改めて見たら全然違った。ほんとに空っぽの部屋でエディが歌うだけになってて、そういうシンプルさというか潔さで歌が引き立ってる!エディまじ歌うまい。
・Emptyの頭をアカペラにするのはエディのアイデア。イントロがあると「さあ歌だぞ」と思われるがアカペラだといつ始まるかわからない
・エポニーヌが死ぬシーンでガブローシュがひそかに涙を流している
この2人は兄弟なんだよね。絡むシーンはほとんどないけどガブローシュは義侠心あるしこういう演出も違和感ない。
・バルジャンが二人の元を離れるシーンあたりからデジタル処理で顔色を悪く見せている。病気だと分かるように。老ける特殊メイクは歌を邪魔すると考えて施さなかった。
白いなー、とは思ってた。あとこのあとのシーンで、力持ちのバルジャンが馬車に荷物をあげられなくて息をつく、みたいなシーンがあり、バルジャンがもうすぐ死ぬという示唆ができててすごい。
・バルジャンが去るシーンについて(引用)
舞台版ではバルジャンが去った直後に2人の結婚式になる。コゼットが薄情に見えるのでシーンを足したんだ。父を思う場面が欲しかった。結婚式でもバルジャンが不在で寂しげだ。コゼットを人情味のある知的な人物として描くため先ほどのシーンを用意した。
映画を2時間半におさめるために他のシーンは泣く泣くカットしながらも、こういう意味のあるシーンをきちんと挿入するというトムフーパー監督の丁寧な仕事がすごくいいと思った。
・バルジャンの死のシーンが、エディとアマンダの最初の撮影だった
バルジャンが事切れる際のアマンダの表情が秀逸。取り乱してしまう様子が愛情の深さを感じさせるし、それを支えるエディの優しい様子よ。泣ける。
・フィナーレのシーンについて(引用)
フィナーレのバリケードには当初、「1848年のバリケード」と字幕を出すことになっていた。革命に成功したとね。でも結局その設定はやめたんだ。これは現実のバリケードではない。後年のマリウスとコゼットをバリケードの上に立たせ撮影もした。だが死者と生者を一緒にすると違和感があったんだ。歴史ではなく人物を中心に映そうと言った。
最初見たときに「天国のバリケード」と思って感動したから、こういう裏話があったことにちょっと驚いた!
・バルジャンは死ぬ間際にやっと愛される側に回った。ファンティーヌが死ぬ間際に平穏を得たのと同じ。
考えたらエポニーヌも、最期の瞬間だけマリウスに見てもらえて平穏を得て死んだよねぇ。ファンティーヌとエポニーヌはそこが同じよね。人に愛されなかったけど人を愛し、最期は平穏を得て死ぬという。つら。
・バルジャンの最期のシーン、撮影時は舞台と同じくエポニーヌもいたが、編集で消した。バルジャンとのつながりが薄いから。代わりに司教を登場させた
ここ、最初はエポニーヌいなくて残念だったけどエポニーヌもフィナーレには出てくるし、たしかに司教の方が違和感ない。でも最初からいなかったのかと思ってたので、撮影時にはいてデジタル処理で消したというのが驚いた!監督もいろいろ試行錯誤するんだなぁ。
っていうところが気になったところです!ジャベたん以外とか言っといてわりとジャベールも出てきた。
ジャベたん編に続きます!きもちわる!