とかげのたからもの

バンドが趣味の育児中会社員です。音楽鑑賞とジョジョとレミゼラブルが好きです。

また本を読む話

図書館で借りた本を読破。

 

女の子はどう生きるか/上野千鶴子

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上野千鶴子氏の東大入学式の祝辞を文字起こしされた文章を読んでグッと来て以来、ジェンダー学に興味がある。この本は岩波ジュニア新書という学生向けの新書なので読みやすく、思うところたくさんあった。以下2点が特にグッと来た。

 

女の子の育て方はかんたん。その子が最初から持っている自分からはばたこうとする力を、妨げないことです。

ホントそれなー。と思った。アレコレ余計なことをする前に、本人の持つ力を信じることなんだろなって思う。そしてこれは男女関係なく育児全体に言えること。

 

フェミニズムは弱者が強者になりたい思想じゃない、弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想

先述の東大入学式の祝辞にグッと来たのもこういうところ。女がどうこうというより、社会的弱者に寄り添う姿勢なんだなーと思った。

 

自分はこれまで、女だから損したと思うことはほとんどなかったけど、でももしもっとアタマが良くて医大を目指してたとして、入試で点を引かれて何年も浪人したとしたら社会を恨むと思う。それが自分の娘だったら学長を殺しに行くね。こんなことがまかり通っていいのかと思う。

娘を2人持つ身として、娘たちが自由に楽しく健やかに生きていけるようにしたいしそういう社会を作るために何かしたいと思う。とりあえず今は「一隅を照らす」の考え方で、家庭の中を居心地の良い空間にしたいと思う。ささやかやな〜。

この本よかったな。買おうかな。

実写映画「アラジン」を観た話

前から観たかった実写版アラジン、ついに金曜ロードショーに掛かったので観ることができた。アラジンはアニメ映画も好きだし、劇団四季のミュージカルも素敵だったので実写版もぜひ観たいと思っていた。

 

警告 ここから先は(ネタバレを含むので未見の人は)読んではいけない

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Aladdin [DVD]

 

まず特筆すべきは結末が変わってることやね!アニメ版やミュージカルではジャスミンがアラジンと結婚しアラジンが新国王になっていたが、実写版ではジャスミンが新国王になり、「王女は王子と結婚する」という従来の法律を自ら破棄してアラジンを結婚相手に選ぶ、というなんともさわやかな結末になっていた。ジェンダーフリーでとても良いと思ったし、そもそもアラジンが新国王になるのはやっぱりおかしいよねぇ。ジャスミンはずっと国王のもとで新国王になりたいと願い勉強を続けてきたわけで、アラジンは誠実だし地頭は良いけど教養はないわけだし。ジャスミンが国王になりアラジンがそれを支えるというのはかなり理にかなってると思った。今の時流に合っているね…。ジャスミンの歌も追加されていたし、主人公はあくまでジャスミンっていう感じがして良かった。

 

あと、ジーニーを自由にしたらジーニーが人間になったのも驚いた。魔力を失って自由になったんやね。そしてジャスミンの侍女のダリアと結婚して、冒頭のシーンに戻るとは…粋な演出!!アニメ版だと冒頭は謎のうさんくさい商人だもんね。ミュージカル版は普通にジーニーだった。てかダリアがジーニーに即一目惚れするのウケた。ダリアとジャスミンの仲良しぶりも良かったね。アニメ版は侍女はおらんくて、ミュージカル版はいたような気がする…虎の代わりにおった気がする。

 

あと、衛兵のリーダーがちゃんと名前をもらって良い役割してたのもよかった。

あとはジャファーが童顔だったとか、ジャスミンのパパが普通に渋いおっさんだったとか、アブーがリアルに猿すぎるとか、いろいろおもろかった。そして歌もダンスも衣装も良かった!1回目は吹き替えで観たけど、アニメ版と訳詞が違うのとかもあんまり気にならなかった。中村倫也は演技も歌もうまいねぇ。

 

願わくば映画館で観たかったね!仕方ないけど。

むずかゆくも愛しいものたちの話

なんというか、すっごく好きなのにちょっとむずがゆいような照れるような気持ちになるコンテンツを表す語彙を知らないので「むずかゆ愛しいもの」とします。それを列記します。

 

thee michelle gun elephant

GEAR BLUES

むずかゆ愛しいもの代表。なんというかミッシェル聴いてると甘酸っぱい気持ちになるというか、地元の友達に会った時みたいな気持ちになるというか…音的にとても好きなのだけど、ミッシェル聴いて「カッコいいな〜」と言ってる自分を斜め上くらいから客観的に見ているもう1人の自分がいて、「うんうん、懐かしいよね〜」と言っている感じ?なんなんだろ…サウンドが荒々しいわりにメロディがキャッチーなのが良いのだがその辺なのかな。その証拠に同じくらい荒々しいけどあまりキャッチーでないキングブラザーズはあんまりグッと来ない。叙情的なのが良いのかな。初期の初々しい感じ、中期のノリに乗ってる感じ、後期のなんとも言えない暗くて長くて情感ある感じ、どれもなんつーかストーリーがあるというか。

 

続・マーフィの法則〜現代日本の知性〜

続・マーフィーの法則―現代日本の知性

昔流行った「マーフィ」について、身近なあるあるネタを一般人から募集してそれを集めて編集した本。くだらなめだしかなり昔の本だからネット環境とかも現在とは大きく変わるんだけど、なんとも言えないむずがゆ愛しさがある。編集がうまいのかネタが秀逸だったのか…。高校の図書館で読んで面白くて自分で買った記憶。

 

落第忍者乱太郎/尼子騒兵衛

落第忍者乱太郎(65) (あさひコミックス)

アニメ「忍たま乱太郎」の原作漫画。最近コミックスをメルカリで安く買って読んでみたらやっぱシュールでおもろい。なんかこう、知識に裏づけされた身内感みたいのが好きなのかなぁ。

あとやっぱ土井先生ときり丸の親子感とか山田親子のドライな親子愛とか、大木先生と野村先生の因縁とか、伊作先輩と乱太郎の保健委員の絆とか、鉢屋と不破の友情とか、そういうなんとも言えないつながりというかそういうのが良いよねぇ。初期の頃はキャラごとの設定でストーリーが進んでたのが、後期になるとキャラ同士の人間関係がキャラを作っていく感じが面白いね。

 

新訳 銀河鉄道の夜/銀杏BOYZ

新訳 銀河鉄道の夜

これは銀杏BOYZの曲ですが。リアルタイムでゴイステを通らずに大人になり、改めて出たこの曲の歌詞がグッと来た、という10年前くらいの記憶が甘酸っぱく甦る。「あなたは僕の始まりで あなたは僕の終わり」という歌詞がやはり今もグッと来る。峯田どういう気持ちでこの歌詞を書いたんだろうなぁ。

 

17歳のカルテ

17歳のカルテ コレクターズ・エディション [DVD]

女の友情モノが好きなんだけどその中でも最もむずがゆ愛しい。主に独身時代、気分がダウナーな時にDVDを流してたりした。今はあんまり無いけど、たまに見ると新たな発見があったりして面白い。

誰もが思うようにいかない人生の、更につまづきやすい思春期の話。なんか思い当たる節があるような無いような…この映画に救われた人多いんじゃないかのう。

あとウィノナライダーのファッションが可愛い。あとちょっとした言葉遊びとか冗談とか雰囲気とかが好き。

 

おかあさんといっしょ

NHK「おかあさんといっしょ」最新ソングブック あさペラ! DVD(特典なし)

子どもができて初めてハマる沼。まさにむずかゆ愛しいもの。歌のおにいさんおねえさん、体操のおにいさんおねえさんの4人組がなんとも尊い尊い一方、素の人間性は全然分からなくて、どうか4人とも画面で見るような爽やかな人物で、4人の仲も良くて、お互いに励まし合って番組を作っていてくれ!と願ってしまう。

なんていうか、情緒的な男女、元気な男女として、この世の理想を詰め込まれた4人なのだよなぁ。それを精一杯体現してくれているってのがどうにも尊い…たぶんアイドルファンに近い気持ち。そしてこのダイバーシティの世の中で、男は青!女はピンク!みたいなのがほぼ皆無なのも意外だった。

例えばこれ。

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男2人が暖色、女2人が寒色なのがちょっと新鮮で、衣装も赤の人の胸に花がついてたり、青の人の胸にリボンがついてたり、なんかもう、センスが良ければなんだっていい時代だぜ!って感じしたしこれをムスメに見せるの嬉しいなと思ったものだった。

ほかにも体操のコーナーがあるのだが、最近夏スペシャルの中で「立って体操できないお友達」のために座って体操するバージョンを披露してくれたりして、なんだか分からないが胸が熱くなるなどしたり。そういう時代なんだなぁ。

普段はスタジオ撮影で、本来ならたくさんの子供たちに4人が囲まれながら歌ったり踊ったりするのだが、コロナ禍により子供たちの姿は消えてしまった。同時に、たまに地方巡業してコンサートをやってたのだがそれもできなくなってしまった。コロナ禍の前のそのコンサート映像の録画をムスメと観ながら、少しでも観客である親子たちに喜んでもらおうと飛んだり跳ねたりする4人がもう尊くて尊くて…グッと来るのであった。特にあづきおねえさん(体操のおねえさん)が客席に降りて子どもを1人指名して名前と好きな食べ物を言ってもらうシーンとかあるのだが、子どもの舌ったらずな「○★△×でふ!」みたいなのを必死で聞き取って親に目で確認しながら「…そうたくん?しょうたくん?しょうたくん?しょうたくん!!カッコいいお名前だね!!!」って褒めてくれたり、好きな食べ物を「ぶどうです」って言ったら「わー!ぶどう!ぶどう美味しいもんね!」って心の底から同意してくれる感じとか、そのやりとりを見てるだけで涙出そうになる。そのあと舞台に戻る際も、カメラの端っこで親に何度も頭下げてたりとか、ほんとなんか尊い〜てなる。

 

ジョジョの奇妙な冒険 第4部/荒木飛呂彦

ジョジョの奇妙な冒険 第4部 カラー版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ジョジョにどハマりした部が第4部だった。んもーなんとも言えん。

最初は岸辺露伴がどうにも好きになったし、東方仗助も億泰も康一くんも、もーすべてが愛おしいということになった。

あとスタンド、3部でも出てくるのだが4部の一部のスタンドのしょうもなさがまたなんとも言えなくて良い。料理が美味しくなる とか、美人になる とか。8部だともっとしょうもなくて、触ったところに毛が生えるとかなんだけど。

なんか突き動かされるようにジョジョ展を見に仙台に行き、ジョジョ展の会場に住みたいと思うなどしたものであった。その後東京でもジョジョ展行ったなぁ。ムスメが産まれて最初の本格的なお出かけとしてジョジョ展行った。楽しかったな。

 

ナイアガラカレンダー/大滝詠一

NIAGARA CALENDAR

大滝詠一の名盤。元はと言えば大滝詠一ファンのさくらももこのエッセイで「無人島に一枚だけ持ってくならこれ」というテーマで挙げられていた1枚。それで興味を持って買ってみたのだが、確かに無人島に持っていくにふさわしいというか、喜怒哀楽すべてが詰まったかわいらしいアルバムなのである。今の車を買った時に真っ先にカーステレオに入れたアルバム。

12曲入りで、1月から12月までの1年間をアルバム全体で表しているコンセプトアルバム。癒されるんよなぁ。オススメ。

大滝詠一の肩の力の抜け方が半端ないというか抜け感すごいのだが、でも音楽的に面白いところたくさんあって、例えば1曲目で「お年玉♪お年玉♪」ていうハミングが入るのだが、回を重ねるごとにそこに「もっとちょーだい♪」というハミングが重なってきて、最終的にいつのまにか全員「もっとちょーだい♪」って言ってたりとか。

あと最後の曲なんかはクリスマスソングとお正月の歌をアレンジしてるのだが、クリスマス部分は盆踊りみたいな雰囲気というか日本的なアレンジにして、お正月部分が逆にジャズっぽくカッコよくアレンジしてあったりして、おもろー!ってなったりする。大滝詠一死んじゃったけどほんと才能に溢れてたんだろうなぁ。

 

ミロ

Nestle ネスレ MILO ミロ 大容量 700g

突然の食べ物。ミロ。ミロ昔から好き。冷たい牛乳に入れてミロがダマになったところをすするのが特に好きだったのだが最近買ってみたらダマにならなくて、企業努力を感じたのであった。

牛乳だとキンキンに冷えてるかホットミルクじゃないとやだけど、ミロなら多少ぬるくても大丈夫。ちょっと糖分多いみたいなのでムスメにまだあげたくないのでムスメに見つからないようにこっそり飲むなどしているがとても良い。

いだてんとフェミニズムの話

もののけ姫に続いて今度は大河ドラマ。視聴率的には不発に終わった宮藤官九郎の「いだてん」。

これホントおもしろくて、毎週録画して3回ずつは観てた。

特に第一部終盤から第二部にかけてが神回が多く見どころ満載。

その中でも私がジェンダー的に一番グッときた回というのが第一部第21回「櫻の園」・第22回「ヴィーナスの誕生」・第23回「大地」の3回。

いだてんはその時その時でフィーチャーされる登場人物がいて、この3回は女子体育の黎明期を描いているので村田富江をはじめとした体育に目覚める女子学生たち、就職・結婚・出産というライフステージを乗り越えて陸上競技を志した増野シマ、という女たちが主人公。物語の主人公である金栗四三は女子学生たちの教師を務めている。

 

まずは女子学生たち。

赴任してきた金栗が体育やろうばい!と押し進めるのを「日焼けすると嫁のもらい手がなくなる」と最初は嫌がるのだが、金栗の泣き落としにより一回だけの約束で槍投げに挑戦、身体を動かす面白さに目覚める。

この時の彼女たちのセリフがかわいい。

友達の方が自分より飛んでムキになり、「もう一度!今度は片手で投げますわ!」とか「溝口さんより飛びましたわ!ご覧になりました!?」とか、無邪気に喜ぶのがすごくかわいい。そして最後にリーダー格の村田がたすき掛けをし、普段の鬱憤を込めて「くそったれぇっ!」と叫びながら遥か遠くへ槍を投げる、という構成。なんかこう、スカッとする。

金栗がその女子学生たちに「シャンナイ(美人がいない)なんて言いたい奴には言わせとけ、お日様の下で身体を動かして汗をかいたら、誰でもシャン(美人)になるとばい!」と呼びかけ、女子学生は体育にのめり込んでいく。

 

最初はテニス。フランスの選手のユニフォームを真似て作って評判になるが、ここはまだ物珍しさと可愛らしさによる評判で、アイドル的な評価でしかない。

次は陸上。陸上に転向した理由も「キレイな脚になりたい」というミーハーなものだがそれはそれでかわいい。

陸上の全国大会で、新調した靴が少し小さく、村田が履いていたタイツを脱ぎ捨てて素足に靴を履き、見事優勝。でもタイツを脱ぎ捨てたことが「はしたない」として文部省まで乗り出す大問題になってしまう。

この時の村田父に対する金栗の反論がまずグッとくる。

タイツを脱いで何が悪いのかと問う金栗に村田父は「好奇の目に晒されるからだ!」と当然のように言うのだが、それに対し金栗は「そりゃ男が悪か!女子にゃ何の非もなか!女子が靴下ば履くのではなく、男が目隠しばしたらどぎゃんです!」と怒鳴る。ホントこれすごいセリフだなーと思う。男がヤらしい気持ちになるから女が慎ましくしなきゃいけない、というのがそもそもおかしいよねと。極論すれば男が自分を律すればいい話なんだもの。

現代でも、女が痴漢やレイプに遭った際に「だらしない格好してたからだろ」とか「もっと自衛しなきゃ」とか、なぜか女側を責める意見が出るのがおかしいと思ってた。100%犯人側が悪いのに、なぜか女を責める論調が根強く残ることに違和感があったけど、この金栗のセリフでこーいうことかぁと納得した。このセリフを男のクドカンが書いてるというしなやかさ。すごいなぁクドカン

 

村田の父はPTA会長的な保守的な人で、署名まで集めて金栗をクビにしようとする。村田たち学生はそれに反発して教室に立て篭る。この際の学生と教師の言い合いがひたすら平行線でおかしい。すこし長いのでちょっとシナリオ集から引用を…。中に出てくる「パパ」は村田父のことではなく金栗の愛称。

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脚を出すのは女らしくない、そもそも女は走らなくていい、という決めつけに反発する女学生たち。だったら男らしさは女に決めさせるべき、あんたたちは男らしくない、とばっさり切って捨てるのがスカッとする。何度も言うけどこのセリフをクドカンが書いてるすごさ。

このあと村田父も参戦し、ほんとに女は男に勝てないのか勝負だ、ってことで村田親子による短距離走で決着をつけることになるのだが、ここはまあお約束というか村田父ざまぁという感じに落ち着く。

このあとドラマの中で時代が動いて、当たり前のように女子が体操着や水着を着て競技に出場するようになる。第二部で活躍した前畑秀子人見絹枝がそうだが、この人たちの活躍の手前には、運動することそのもの、動きやすい格好をすることそのものを否定された人達がたくさんいたってことがここで分かって胸が熱くなる。文字通りスタートラインにも立たせてもらえず、自ら立とうとも全く思えなかった人達が、少しずつ声を上げて少しずついろんなことを変えていってくれたおかげで、現代の私たちは当たり前のように好きな部活を選んだり休日にランニングしたり、才能があればオリンピックを目指したりできるようになった。

スポーツだけではなく、きっとギターを弾くことも将棋を打つことも難しい本を読むことも自転車や自動車を運転することも仕事を持つことも、最初は「女らしくない」と否定された人がいて、それを少しずつ打ち破ってくれたおかげで私たちは今平気な顔でそれらをやってみることができる。それってすごいことだなって思う。

 

というわけで女子学生編に続き今度は増野シマ編。

シマは元々、三島家という名家に勤める女中だったが、三島家次男の三島弥彦がオリンピックに出場することになり、スポーツへの興味を持つ。

その後女中を辞め教師となり、金栗と同じ女学校に勤め、自らも陸上競技を目指してこっそりトレーニングする傍ら、学校では女子体育を普及しようとするが堅い偏見を前になすすべなし、のところへ金栗が現れ、上記の流れで女子体育の黎明期に臨する。

無邪気に体育にのめり込む学生たちとともにランニングをする楽しい日々だったが、縁談が舞い込み見合いを余儀なくされる。陸上競技も仕事も面白くなってきたタイミングの縁談をシマは断ろうとするが、見合い相手の増野が理解ある男性で、陸上も仕事も続けてほしいと言われ結婚を決意する。この時の増野のセリフが秀逸。

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子供連れて応援に行きます、のところがいいよね。当然自分が子供の面倒を見る、と言っているわけだし。

この場面、実はシマの孫だと後々判明する落語家五りんが落語の噺として話しているのだが、思わず泣いてしまうというオマケがついている。祖母が祖父に大事にされていたことが分かって嬉しくて感極まってしまうというのがまたグッとくる。増野は「もうそんな時代じゃありませんよ」といっているけど、そんな時代だったんだと思う。なんなら現代だってそうじゃない人もいるかもと思うくらい。男も女も、結婚や育児や介護で夢を諦めたりせず、お互いや周囲と支え合っていけたらいいのにねぇ。

そしてシマは妊娠し、陸上競技も仕事も一時中断となるが、作戦を変えて人見絹枝という陸上競技の逸材を発掘する方向で活動する。日本人離れした体格や才能を持っていながら「周りにからかわれる」という理由で陸上競技を拒否していた人見絹枝は、シマが書いた手紙により少しずつ心を動かされ、次第に頭角を表していく。そしてシマに御礼を言おうと上京するも、シマは関東大震災で行方不明になってしまっていた…。

その後、人見絹枝は日本初のオリンピック選手として銀メダルを獲るのだが、このときの回はファンの間で語り草になる神回。これはまた別の機会に語りたい。

 

シマは自分は道半ばで倒れたものの後世にタスキを繋いだ。

こういう人達がいたことに感謝しつつ今をもっと良くしていきたいものですね。

もののけ姫とフェミニズムの話

ジェンダー学への興味みたいな記事を書いたのだが、今日在宅勤務の昼休みにジブリの「もののけ姫」の録画を流してて、なんか思うところあったので書く。

もののけ姫は、ジブリ映画の中でベスト1、2を争う好きな映画(対抗馬はナウシカ)で、公開当時に映画館で2回観たし、その後も無数に観てるのだが、今日はなんかこれまでと違うところでグッときてしまった。

 

キーマンは2人の女。エボシ御前とトキ。

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エボシ御前は設定として、売られるかさらわれるかして海賊の親玉の女房をしていたが、満を持して夫を殺し財産を奪って日本に引き揚げてきてタタラ場を拓いたという人。その時にエボシを慕って付いてきた海賊の子分がゴンザ。

エボシの野心はすごくて、鉄造りによりひとつの国を作ろうとしている。そのためには外敵を防ぐために武力である石火矢(鉄砲)が必須で、その石火矢を扱う「石火矢衆」という技術集団を招き入れた。その見返りとして、石火矢衆の親玉である唐傘連、その親玉の師匠連からの要求である「獅子神の首」をなんとしても手に入れなければならない。

かなり非情なところがあり、事故で谷に落ちた牛飼いたちを振り返ることなく隊列を進めたり、大勢の犠牲が出ることを承知で自国の民をイノシシの暴走の囮にする唐傘連の作戦に同調したりする。

その一方で、「売られた娘を見るとみんな引き取っちまう」という一面があったり癩病を恐れず手ずから患者を看病したりする一面があったりする。娘たちはタタラ踏み、患者たちは石火矢の改良というような仕事に従事している。

見方によっては、売られた娘・癩病患者という「社会的弱者」を救ってみせることでカリスマ的崇拝を集め、忠誠を誓う部下を増やすための作戦のようにも思えるが、どうもそれだけとは思えない。自分が社会的弱者だった、なんなら今も女というだけで侍たちに舐めてかかられるという弱者であるということは切っても切り離せない気がする。

↑の非情な一面で切り捨てられているのは「男たち」。男にはちょっと冷たい。男たちの方も、牛飼いのカシラ(いい人)は元気な女たちを見て「エボシ様は甘やかしすぎだ」と苦々しくつぶやくし、別の牛飼い(いい人)は獅子神退治に行ったエボシについて「エボシ様は奴ら(唐傘連)に踊らされてるんだ!」と吐き捨てる。なんなら「タタラ場に女がいるなんてなぁ。普通は『鉄を穢す』ってそりゃあ嫌がるもんだ」なんて言ったりする。「女がいる」どころじゃなく首領が女なんだもんなぁ。本来なら女が踏み込むことを許されない領域でエボシは平然と首領を張りトキたちは元気にタタラを踏んでいる。

エボシと男たちの間には、労使契約はあれど信頼関係や忠誠みたいなものはちょっと薄いように見える。ゴンザは別かもだけど。

エボシとサンの決闘後、エボシを気絶させたアシタカが「誰か手を貸してくれ」と呼びかけると、男たちは怯えてなのか呆気にとられてなのか、その場から動けないのだが、女たちは即なぎなたを捨てて駆け寄る。こういうときに信頼関係って出るよねという。

エボシは決して完璧なリーダーではないし、ある程度成果主義というか、ゴチャゴチャ言う奴は力でねじ伏せる面がある一方、女たちや患者たちから寄せられる血の通った忠誠に癒されてるのかもしれない、と今回思った。

長くなったけどエボシでグッと来たのは次のシーン。獅子神の首をついに落とし、ジコ坊に投げて寄越すエボシの表情・声がグッと来た。

「受け取れ!約束の首だ!」と叫ぶその顔は万感の想いというか、もはや悲壮感さえある。エボシは獅子神を殺すことなんて正直なんとも思っていないけど、この首を獲るために彼女がどんだけのものを犠牲にしてきたかというのが思い起こされて、グッと来た。

獅子神退治に向かう途中でアシタカが追いつき、タタラ場が侍に襲われていて女たちがなんとか籠城している状態という旨を告げる。ゴンザは即「エボシ様、戻りましょう!」と進言するが、エボシは自分に言い聞かせるように「…女たちにはできるだけの備えをさせてある。自分の身は自分で守れと」と呟き、獅子神退治を続行する。籠城がやぶれた場合に女たちがどんな目に遭うかエボシは分かってるけど、それも含めて女たちに覚悟を決めさせてるというのが伝わった。ここで引き返して唐傘連に舐められるわけにいかないという想いもあるだろうし。

そんなシーン。

 

次はトキ。トキはエボシに拾われた「売られた娘」の筆頭でそのリーダー格。

グッと来たのは2つ。

 

ひとつめは、獅子神退治に出るエボシを囲むシーン。エボシを心配する女たちにゴンザが「案ずるな!エボシ様のことはこのゴンザが必ずお守りする」と胸を張るがトキが「それが本当ならねぇ」と混ぜっ返す。何?!と気色ばむゴンザにトキは「あんたも女だったら良かったのさ!」と畳み掛け、ゴンザは返す言葉がなく、エボシは噴き出して大笑いする。

きっとトキは過去に何度も「あんたが男ならねぇ」と言われて辛い目に遭ってきたのだろうと思った。男だったら売られずに済んだのかもしれない。男だったら牛飼いの女房くらいでおさまるのではなく、その気性を活かして一本立ちできたのかもしれない。

でもトキはエボシに感謝しているし忠誠を誓っている。それは恩があるのはもちろんだけど「女だから」というのも大きいんだと思う。それが女尊男卑に見えないのはトキのサッパリした物言いによるものなのかもしれない。ほんとうはエボシが女でも女じゃなくても、トキたちが生き生き暮らせるのが一番なのだが、この時代にそれは難しかったのかもしれないしそれは現代も同じかもしれん。

 

もうひとつは、デイダラボッチが首を取り返しにやってきて、タタラ場が窮地に追い込まれるシーン。

最初は「持ち場を離れるんじゃないよ!タタラ場を守るんだ!エボシ様と約束したんだから」と気丈に周りを鼓舞しているが、いよいよデイダラボッチが迫り周囲が慌てふためくと、物凄く悔しそうな顔をしたあと、「騒ぐんじゃない!みんなを湖へ!怪我人や病人に手を貸すんだよ」と的確な避難指示をする。

トキにとってはエボシとの約束が全てで、例え死んでもタタラ場を守るという覚悟だったと思うが、もうタタラ場どころじゃないとなった時に方針を切り替えて人命優先にできたのはすごく偉かったし悔しかっただろうなって思う。

このあと自ら癩病患者を背負いながら逃げる途中、夫の甲六が燃える大屋根を見ながら「もうダメだ…大屋根が燃えちまったら、何もかもおしめぇだ」と早々に弱音を吐くのを「生きてりゃ何とかなる!」と一喝する。このシーンもグッと来た。この時のトキの表情も、獅子神を殺したエボシと同じく悲壮感を感じた。

余談になるけどこの避難シーンの前、癩病患者の女とトキが一緒に夜明けを待つシーンがある。元々は癩病患者は隔離されており、おそらく差別を受けていたのだが、戦の混乱の中でそんなの関係なくなり、石火矢を撃てる癩病患者たちは重宝され共に戦うようになった様子。

夜明けを待つ2人の女はなにか美しく、患者の女がトキの石火矢を手入れしてくれていて、「取れたよ、トキ」「ありがとう」という会話もとても自然で、その後患者の女がふところから出した食べ物をトキは受け取って食べるなどする。

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宮崎駿のインタビューで、「トキと言えども平時は癩病患者がふところから出した食べ物を受け取って食べることはあり得なかったはず」と言っていた。サッパリした気性のトキですら、普段は癩病患者は同じ人間と思えなかったということか〜と思った。そう思うと↑の「取れたよ、トキ」という会話も、トキという名を患者の女は今回の戦の中で初めて知ったのだろうと思うとグッと来た。弱者の女の中でも更に弱者の癩病患者のこの女がどんな苦労をしてきたか、それを救ったエボシという人間とは…と思うなどした。結果としてラストシーンで患者の女の病を獅子神が取り去ってくれるというオマケが付いているのだがこれは物語だからこその優しさで、本当は彼女は一生偏見に苦しんだかもしれない。病が治らなかったら戦の中で友になったトキと今後、どんな人間関係になったのか興味ある。

エボシとアシタカの初対決というか、ナゴの神を石火矢で追い詰め祟り神にし、結果としてアシタカに呪いを与えたエボシの野心に対しアシタカは怒りを覚えるのだが、癩病患者の長が「あなたの恨みや悲しみはよくわかる。でもその人を殺さないでほしい。その人はわしらを人間として扱ってくれたただ1人の人だ。わしの病を恐れずわしの腐った肉を洗い布を巻いてくださった」とエボシをかばう。その帰り道にアシタカは女たちの職場であるタタラ場を訪れ仕事を体験し「この暮らしは辛いか」と問いかける。問いかけに対し女たちは「そりゃあさ…でも下界にくらべりゃずっといいよ。お腹いっぱい食べられるし、男がいばらないしさ」と笑う。アシタカは「…そうか」とつぶやく。

アシタカは本当は「辛くてしょうがない、エボシはひどい人だ」という返答を期待していたのかもしれない。そしたら心置きなくエボシを殺せるのにと。でも患者たちや女たちにとってエボシはなくてはならない存在なんだよねぇ。

 

なんてフェミニズムからだいぶ離れたけど、もののけ姫の新たな見方ができましたという話でした。

フェミニズムの話

少し前からフェミニズムというかジェンダー学に興味がある。

以前だとフェミニズムというとヒステリックなおばさんが叫んでるみたいなイメージがあって敬遠していたのだが、東大の入学式の上野千鶴子さんの祝辞を読んで考えが変わった。

2019年4月 上野千鶴子名誉教授 東大入学式祝辞

この文章読んで、ずっと自分の中にモヤモヤしてたことがハッキリしたというか、そうそうそうなんよな〜と思うなどした。

医科歯科大で女子学生の点数引かれてたとか聞くと悲しくなってしまうけど、なにが悲しくてどうすれば悲しくなくなるのか考えたいな〜と思うなどした。

思うなどしたけどそのまま頭の中で考えてただけだったのだが、今日会社でLGBTについての研修を受けなきゃいけなくて、最初はめんどくさかったのだが、視聴しているうちに引き込まれ真剣に見ていた。講師自身がLGBTで、いわれのない差別や偏見や心ない言葉に傷ついてきたことが伝わってきた。

自分のLGBTに対する理解も少し深まったと思うし、LGBTじゃなくても社会的な弱者について考えるきっかけになった。

 

社会的弱者というと自分も女性だし、小さな子どもがおるという意味では社会的弱者かもしれないのだが、これまでの人生で「女だから」という理由で不利益をこうむったこと、もしくはそう思ったことってほとんど無かったと思う。

それが本来当たり前だと思うけど、私がそう感じること自体、上野さんはじめ先人たちが少しずつ色んなことを変えてきてくれたからなんだと思う。

だし、親が「女は大学は不要」と言わなかったとか、入社した会社で「女はお茶汲みしてればいい」と言われなかったとか、そういうのは単に運が良かっただけなのかもしれないと思う。

 

最近、将棋界初の女流棋士として活躍した蛸島彰子女流六段のインタビューを読んだ。「女は頭が悪いから男と同じ土俵には立てない」と散々言われたり「女性用のトイレがない」とかいうくだらない理由で研修参加を拒まれたり、とても苦労したらしい。

最近将棋界初の「女性棋士」(≠女流棋士)に迫る西山朋佳三段の活躍をすごく喜んでる記述があって、それが「自分たちのできなかったことを」というような重荷を背負わせる感じでなく、自由に羽ばたいてほしいという先人の強さ優しさを感じさせるもので、胸が熱くなった。

2019年7月 蛸島彰子女流六段インタビュー

 

先日社外のオンラインセミナーを受けていたら、脳科学的に「マルチタスク」は効率が悪い、という話が出てきた。脳科学的にはマルチタスクということは不可能で、素早く「スイッチタスク」してるだけ、という話は説得力があって面白かったのだが、受講者がチャットでコメントを入れていて「でも女性はマルチタスク得意ですよね。家事育児とか(笑)」みたいに言っていて、それは弊社のおじさんだったのだが、それに対して講師が迎合したのか冗談半分なのか、「そうですね、確かに女性は得意なのかもしれないです(笑)」なんて言ってて、イラッとするなどした。おじさんの嫁がマルチタスクで家事育児をこなしてるのはおじさんが家事育児をしないからでは?と思ったし、講師もせっかく科学的な話をしてるのにどうしてそこで迎合しちゃうのか?と思い、受講後のアンケートにちょっとだけそれについて意見を書いたりした。届かないだろうけど。

 

うちにまだ2歳のムスメがいて、ムスメが将来、女というだけで点数を引かれたり棋士になれなかったり家事育児を押し付けられたらと思うと涙が出そうになる。ましてやLGBTや障害者のように、より社会的に弱い立場に置かれることになったとしたら、親としてどうしたらいいのか今はまだ見当もつかんなーと思う。

とにかくムスメにはやりたいことはやらせてあげたいし、自分で判断して生きていける力がつくような教育は受けさせてあげたい。だし無力とはいえ先人として、ムスメの世代の人たちがみんな、少しでも生きやすい世界を作る責任があると思う。無力だけど…いや微力くらいにしておくか。

 

なんてことをつらつら考えていた。

前からぼんやり欲しかった上野千鶴子さんの本を買ってみたので読んだらまた感想など書いてみたいなと思います。