とかげのたからもの

バンドが趣味の育児中会社員です。音楽鑑賞とジョジョとレミゼラブルが好きです。

コーダあいのうたの話

子どもたちが寝てる隙に年賀状を書くことにして、作業しながら何か映画でも観ようとアマプラを開いたら3番目くらいに出てきた「Codaあいのうた」を観てみた。

コーダ あいのうた(吹替版)

※ネタバレするかもなので未見のひとは気をつけて。。

 

軽い気持ちで観始めたけど後半ずっと泣いてしまったわ。主人公のローズも家族も彼氏も先生もそれぞれ良いやつで…。大学の試験で歌うときに家族に向けて手話をするところが一番泣いたかのー。

でも高校の合唱部の発表会で、ローズの歌のサビで音が消えて、聾者の父親の視点になる演出がすげ〜なと思った。それまでこの歌の練習風景をずっと描いて、本番の歌が聴けないという残念さが、父親の「娘の歌を聴きたい」という気持ちの片鱗に触れたような気持ちになった。聴きたいよそりゃ…。でも観てて思ったのだが「歌う」とか「歌」とかの手話ってあるんだな〜みたいな。そりゃあるんだろうけど、歌を聴いたことのない人が「歌」と手話で表現するのってなんか感慨深かった。

 

ローズの母親が「ローズが生まれて聴力があると分かり、子どもとの関係が希薄になるのではと心配した」と心情吐露する場面がとても新鮮だった。健常者の親が障害を持つ子どもを産んだ時の心情吐露って聞いたことあるけど、逆は初めて聞いた気がして、そして「障害がなくて残念に思った」というのがローズと同じく「なんで?」と疑問に思ったけど、それは健常者の価値観の押し付けなんだな〜と思うなどした。

あと今回は聾者の親が娘の歌を理解できないという内容だったけど、そこまでのハードルがなくても「親が子どもの夢を理解できない」というシーンなんて山ほどあるよなー。聾者の親が音楽の道へ進む子どもを理解できたんだから、もっとハードルの低い「理解できなさ」は、話し合ったり勉強したりすれば絶対理解できるんだろうなって思った。わたしも子どもらが、自分の常識の斜め上の進路を選ぼうとしていたら、自分だけの価値観で否定せず、かといってむやみに肯定せず、本当の意味での理解者になってやりたいものだな。それにはやっぱり普段からいろんな人と接していろんな価値観を受け入れたりいろんな知見を得ていかないとむずい。

 

あと思ったのが、ローズは歌の才能を見出されてその道に進むことになったけど、本当にそれで良かったんか?みたいな。もともと歌が大好きという表現はあったけど、それで食っていこうとか思ってなかったのかなと思った。でもなんか、おばさんの視点で若い子の決断を見て心配してるけど、若い子の勢いというかいい意味で向こう見ずというか、やるだけやってみようみたいなの、すごく眩しくて良いなって思った。

 

というわけでとてもよい映画だった。フランスの映画のリメイクらしいので、そっちの映画も観てみたいわ。